荒木先生の漫画を元に映画が作られて、その映画を元にノベライズされているという不思議な流れ。
個人的にはこの小説版が一番描写が繊細で好きかもしれません。
映画は流れってものがありますからね。いちいちすべての解説を入れてません。
だが小説は違う。
細かい場面描写やキャラクターの心情など、映像では厳しいものも文字なら表現可能だ。
映画を見てから小説を読めば、イメージも湧きやすい。
映画→小説→映画
だと、また少し見方が変わるので、それはそれで面白いかもしれない。
ノベライズは安定の北國ばらっど先生だ。
もう露伴関係の小説は北國先生にお願いしようぜ!
そして坂ノ上誠子を出してくれ!しつこいけど、何度でも言うよ!
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版 良かった表現
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版 良かったシーン1
かつては離れた場所から覗いた彼女の横顔が、間近で露伴の胸板を押していた。
それは柔らかく、そして濡れていた。
岸辺露伴ルーヴルへ行く 映画ノベライズ版より
この表現が個人的にすごくいいと思いました。露伴と奈々瀬の距離感もすごく伝わってくるし、柔らかく、そして濡れていたっていうソフトアンドウェット表現をここでブチ込んでくるなんてことは、北國先生じゃなきゃできないと思う。
露伴の青春の慕情を表すものすごくいいシーンですからね。
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版 良かった表現その2
深く透き通った黒い瞳が、頬を伝うその無防備な涙が、今まで見たどんなものよりも美しかった。深く青い海よりも、月夜に煌めく清流の湧き水よりも。
彼女のためになりたい。本気でそう思った。
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版より
この一文がナレーションでもいいから差し込まれていればなぁと思わずにはいられないッ。
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版 良かった表現 その3
エマ・野口に関する描写で
近頃の彼女が抜け殻のようであるのには事情がある。
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版より
この一文でエマの息子、ピエールが池で溺れてしまったのは割と最近の出来事だということがわかる。
漫画版ではそのような表現はないことから、数年以上は経過している印象を受けた。だが映画版は違うっぽい。
3ヶ月前〜半年前くらいにピエールは亡くなっていて、一ヶ月は休職していたんじゃないかなあと思える描写である。
そのせいで露伴との用事を忘れていた・・・といううっかりミスもやっているし、どことなく全体的にそっけない態度なのもそもそもの性格というよりは、ピエールの死が未だ暗い影を落としてると捉えたほうが正しい。
その前提で見直すと、また映画の見かたが変わるかもしれませんね。
ただ、このあたりの事情は映画版では語られることはない。
ノベライズ版を読んで良かったと思える大事な一文である。
岸辺露伴ルーヴルへ行く ノベライズ版まとめ
もはや脚本か?と思えるぐらいのクオリティを誇るノベライズ版。
映画版は表現的にナレーションをピンポイントで入れれば良さがもっと際立った感もある。
余計な言葉はいらないっていうのもわかるんですけどね。
僕のように映画版に少し物足りなさを感じた人は、ぜひノベライズ版を読んでみてほしい。
個人的には大満足です。おすすめ。