承認の質

誰かに認められることがこの社会では必須であった。

小学校、中学校、高校、専門、社会人と「どういう状態であることが認められることにつながるか」は違うものの、結局は認められることにたどり着く。

働き始めてからも、「いかに顧客に認められ、売上を上げて会社に認められるか」みたいな価値観で生きていた。そしてみんなその価値観で生きている。その承認の証が給料である。だからみんな年収を比べたがる。どれだけ認められたかを簡単に数値化できるのが年収だからだ。

承認欲求には終わりがない。

どんなに努力して何かを得て認められても容赦なく時間は経過していく。

最終的に人が「若さ」に憧れるのは、皆がどんなに望んでも手に入らないコトだからかもしれない。

自分を客観視するのは難しいが、他人を客観視するのは簡単である。人をよく観察して何で誰にどのように認められたいのかが理解れば人は意外と単純な生き物だということに気づく。

昔は身近な仲間にいいねと言われたかった。今はその範囲がもう少し広くなっただけだ。

だが今はその承認数、数にばかり目が行く時代で、その質に関しては驚くほどおざなりにされている。

承認の質にまで意識が上がれば、もう少しマシな世の中になるだろう。

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