去年は控えめに言ってもアウトプットのブームでした。色々な講習や会議でアウトプットが重要だという話が出ていました。「インプットが3割、アウトプットが7割だといいよね」なんて言葉をよく聞いていましたし、そんな感じの書籍もたくさん出ていた気がします。
僕もそのブームに乗った一人です。きっかけは樺沢紫苑先生の「アウトプット大全」ですかね。
我ながら見てもコテコテのアウトプット信者ですな。
基本的にアウトプットの効用としては、
・アウトプット前提でインプットを行うことでより学びが深まる
・アウトプットすることで、より知識が自分の中で定着する
・アウトプットするための自分の行動が成長につながる
といったものですね。もちろんその通りです。
このアウトプット前提でのインプットを癖付けていくと、ただのインプットで終わらないので非常に効果的です。何かを吸収するときは、誰かに伝えるつもりで吸収する。この伝え方もよりわかりやすく、自分の中で要約することでより良質なものになりますね。
で、僕もひたすら頑張ってアウトプット前提でいろんな勉強をし、拙いながらもアウトプットもしてきました。そこでたどり着いた結論は、「何かが足りない!」ということです。
何が足りないのか
これに関しては自分の中では一つの答えが出ています。それは、「考えて熟成させること」と「自分なりの答えを見つけること」
インプットからアウトプットまでのスピードは早いのですが、そこに自分なりの考えや表現が乗らないぶん薄っぺらくてなんだか物足りないアウトプットになってしまうのです。これは自分でも感じましたし、他の人のアウトプットでも感じることはありました。
誰の本だったか忘れましたが、「1日に1時間でも何かをしながらではなく自分の頭だけで考えているか」という文章がありました。常に何かをしながら、数分に一度はスマートフォンを見ながら、あるいは誰かと話しながら過ごす。それはそれで悪いわけではないのですが、「考えている人」に比べて表層的になってしまうのは事実です。それでは、この考えて熟成させるためにはどうしたらいいのでしょう。
対策その1 一人の時間を持つ
集中のためには一人にならなければいけません。話しかけなくとも話しかけてしまうのが人だからです。この一人になる、というのはリアル世界でもそうですが、ネット世界に関しても同じです。スマホのロックを解除してツイッターと開けば誰かとつながることは簡単ですね。ですが、このつながりを常に続けていると「自分一人で考える」というのができなくなってしまうのです。その結果何が起こるかというと、「自分の頭で考えられなくなる」ということが起こります。これは非常に深刻な問題で、問題が起きるとその辺に落ちてた安易な情報を鵜呑みにしたり、誰かに頼ってそれで終了!な使えない人間が出来上がってしまいます。人に聞いたほうが早い場合はそれも解決手段の一つですが、「自分で考えて問題を解決するべきか」「人に協力を仰ぐべきか」の判断すら自分で出来ないというのは問題ですね。この常に人と繋がり続けている状態は思考停止状態を引き起こすのです。自分一人になった状態では、自分の中で考えて、自分の中で答えを出して行動に移すしかありません。この半強制的に考える環境を作るのはいいことなのかなと思います。
対策その2 書き出して一回アウトプットする
人に話したりブログやツイッターに書く前に一度自分の中でアウトプットするという方法ですね。もちろんスピード感のあるアウトプットも大事ですので全てに適用する必要はありませんが、一度自分の中でノートや紙に書き出してみたり、ブログだったら下書きをしてみたりすると面白いことが起こります。「セルフツッコミ」が始まりますね。
「おいおい、なんか真剣に書いているけどこれ変だぜ」
「この表現わかりにくいなあ、もう少しなんとかならないの?」
みたいな感じですかね。
そこでなんで変なのか、なんでわかりにくいのか、なんで対抗意見が出てくるのか、別の見方をするとどうなのか、違う年代の人の視点はどうなのか、異性の意見はどうなのか、立場が逆転したらどうなるのか、などちょっと自分の考えが客観的に見えるようになります。
対策その3 主観と客観のバランスを考える
そこでこの対策その3が絡んできます。対策3は、「主観と客観のバランスをうまくとる」というものです。これは非常に難しい要素なのですが、大事だと思います。
主観に寄りすぎると個人の考えや主張は色濃く、個性的なものになる反面個人的な感情や個人の意見になりやすくなります。「それはあなたがそう思うだけでしょ」ってやつですね。一方客観に寄りすぎると一般論や事実のみのつまらない意見になってしまいます。こちらに寄りすぎると「ただの報道ニュース」になってしまいます。
事実関係は客観的に見ながら、自分の意見も交えて物事を考えるというのは大事ですね。
個人的には今の時代は「主観」に若干寄りすぎているような気がします、客観的な見方よりも個人的な、感情的な意見が多い。「共感の時代」とやらの副作用かもしれませんね。
思考の熟成とは
これは一度考えたものに、いろんな事実や意見といった「酵素」を混ぜ込んで寝かせる。といった考え方です。熟成期間は色々あります。1時間集中して熟成させる手もありますし、一度考えたものを放置しつつ(忘れずに)後からしっかり練り直すということもあるでしょう。
一つの要素に客観的データやら多角的なものの見方という「酵素」を混ぜ込んで熟成させるイメージですね。その熟成された思考をアウトプットすることで、より自分の成長につなげられる気がするんですね。
この「酵素」の元になるのが様々な体験であったり幅広い知識だったりするので、そういった意味でもインプットは大事なんですよね。
誰でも気軽にアウトプットできる時代になったからこそ、インプットと思考熟成が鍵だと思っています。まあ、色々ごちゃごちゃ書いてきましたが「一人でじっくりモノ考えてみてからアウトプットしようぜ」ってことですね。
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